差を取るから悟り





精神世界で、
悟り


とは仏教のように
坐禅を組んで滝に打たれる
ことではありません。








それは


差取り
【悟り】


なのです。







差を取ること。





例えば、
自分と人との差






仏教にこんな話があります。




あるところに洪水で子供を亡くした
女がおり、

その近くをお釈迦さまが
通ることを聞きつけて


女はお釈迦さまの元へ
死んだ子供の死骸を抱えて
飛んできました。






仏陀よ。
あなたは神通力第一のお方。

その不思議なお力で
どうかこの子を生き返らせてほしい







するとお釈迦さまは

あい。わかった。


と答えました。





しかし、それには必要なものがある。
それは唐辛子の種だと言います。




インドには唐辛子の種はどこにでも
自生しているようなものですが
お釈迦さまは条件をつけました。





1人の死人も出していない家の
庭から出た唐辛子の種でなければ
できない。と






すると女はまたすっ飛んで行き
方々を回りました。





そして3日後にお釈迦さまのもとに
帰ってきて、




私が悪かったです。




と言ったのです。





そう。その洪水で
死んだのは女の子供だけでは
もちろんありませんでした。




多くの家々が流され
どの家の人も家族を
亡くしていたのです。





それをわかった女は
そこから悟りを開き仏陀の弟子となりました。








このお話の意味がわかりますか?



自分の子供が死んで
悲しいは当たり前なんです。



でもよその人だって
同じくらい悲しんだり苦しんだりしてる。




それを自分のことばかり考えて
身勝手なお願いや行動をとる




これは悟ってないんです。

差が取れていない



自分と人との。





要するにみんな大変なんです。
辛いこともあるんです。


それでも生きてる。
ちゃんと生活してるんです。



それがわかったなら
この人も大変だよな。


あなたも偉いねって
尊重し合うのが悟りの世界なんです。







ましてや
あの人は偉くて、お金持ちだから…

なんてことに振り回されてると

悟りどころか
差は開くばかり






そう。
言い換えればみんな
特別だし

みんな特別なら
みんな普通なんです。






それさえわかってれば
あなたもいい、私もいい
みんないい。





そしてみんな神の子だよね
と言えるんですね。





少し高度な話かもしれないけど
こう言った人生の差が取れるように
なると本当に私たちは
楽に生きられるようになるんですよね。





今日もみなさまに
心から感謝してます。