小説の文頭のように始まりは些細な事なんです。
人間、何か新しいことを見つける時
そんなに大きな出会いってあまりありません。
それより日常に転がっている
些細なことに気がつくこと
これが一番大切なんだと思っているんです。
ましてや日々生きてるだけでは
そんな些細なことをどうも見落としているような
気さえしてしまう
だけど、実は神様って
私たちにちゃんと伝えてくれているんですよ。
どういうことかというと
注意という形で人の口を借りて
おしえてもらっているんです。
例えば会社の社長にご飯に連れてってもらう。
するとご馳走になるわけです。
その時に次の日
昨日はごちそうさまでした!
と、この一言が必要なんですよね。
それを言わない人には
ちょっとちょっと と呼んであげて
ご馳走になったらごちそうさまだよ
って教えてあげなくてはいけないんです。
会社の社長や上司にも
言えないような人は
世間行っても言えてませんから
これは恥を掻くだけなので愛を持って
注意してあげる
これが必要なんです。
そういう細かいこと言いたくないって
思う人もいるかもしれませんが
それって愛がないんです。
だって何かに気が付いた時
これは言ってあげようって人と
んー少し様子を見ていよう
っていう人がいるんですけど
でもよく見ていたら注意したい箇所に気がついたんですよね?
それで様子を見てようというのは
本当は嫌われたくないという
怠け心なんですよね。
自分のことばっかり可愛がってても
下は成長しません。
ただこれは注意する側の話で
本当に大事なのはここからです。
注意された方は
正直いい気しないんですよね
それでムスットしちゃう人もいて
その気持ちもわかるんですけど
よく考えて欲しいんですけど、
注意する方だって
本当は人のこと注意するのってすごく嫌なんです。
それをあなたのために
こういうとこ気をつけなって言ってくれるのって
すごくありがたいことなんですよ。
誰だって細かい人間だなんて
思われたくありません。
ただその人がなんかイマイチ成功しない
この人実力はあるのに
んー
って人がいたとしたら
それって本人が一番
気がついてるんですけど
人間、大きく間違えてるところ
ここは直さなきゃなってとこは
自分でも本当はよくわかってるんです。
だからその人が
人生うまく言ってないのって
実は細かい部分なんですよね
細かいから誰も注意したくないんです。
だから今まで直せなかった
それで嫌われてたりしたかもしれません。
だからそのことをちゃんと注意してくれるのって
本当にありがたいこととで
そういう人のことを
マスターとかっていうんです。
もちろんのべつ
ぐちぐち小言を言ってるような人とは違います。
だからそんなマスターと言える
愛のある人に出会った時
我々は指導される側としての
力が必要です。
こんな細かいとこに気がつかせてもらって
ありがとうございます
ついつい癖になっちゃてるの
なんども言っていただけるとありがたいです
こんな会話がかわせたら
もう人間として
すごい向上が見込めて
チャンスも運勢も良くなるんです。
どんどん人間として魅力的になっていきたいものです。

コメントをお書きください