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わかり易さこそ正義


世の中にはこんな言葉があります。

 

 

単純明快

タンジュンメイカイ

 

と読みます。

 

 

そうなんです。

 

単純なものはほど明るくて楽しいんです。

 

 

逆にこんな言葉もあります。

 

 

 

複雑怪奇

フクザツカイキ

 

と読みます。

 

 

そう。複雑なものほど怪しく受け入れ難いのです。

 

 

 

 

ただ今の世の中は逆行した思考に陥りがちで

多少複雑なものの方がすごかったり効果が大きいんじゃないか

と思われています。

 

当然それを使ったビジネスなども横行しているわけで

 

これは批判ではありませんが

宗教などが歴史的に見てもまさにそうですよね。

 

 

偉く豪華で凝った造りの建物の中で

なんだかわからないけど

怪しげな人が聞いたことも無いような呪文を

唱えて護摩を焚いてくれたりすると

 

なんだか効果がすごいあるんじゃないかって

気がするんです 笑

 

 

 

当然、それで効果を感じればいいのですが

本当のことを言ってしまえば

 

 

反対側の単純で一見シンプルなものにこそ

多くの効果や機能が備わり

私たちを助けてくれます。

 

 

 

 

京都やなんかに行くとお寺ってありますよね。

 

だいたいお寺や古い料亭のお庭は

浄土造りという形式で美しく整えられています。

 

 

あれはその昔、

貴族たちや身分の高い人の間で

 

小乗仏教という考え方が流行った名残なんですが、

その小乗仏教というのは

 

 

 

極楽浄土を思い描けないと死後

お釈迦様のいる極楽へはいけませんよという

教えでした。

 

 

だから自分の庭を極楽に見立てて

毎日そこを眺めることで

死後の不安を取り除いていたんです。

 

 

 

それに加えて写経や読経などもしなくてはなりませんが、

しっかりと教育を受けてきた

身分の貴族であればできないことはありません。

 

したがってこうした教えが世の中どんどん

広まりました。

 

 

 

 

 

しかし、ここで問題がありました。

 

我々のような身分の低い庶民は

字が読めないのです。

 

ましてや極楽浄土を思い描くなど巻物さえ

一生に一度見るかどうかだというのに

到底できたものではありませんでした。

 

 

 

 

すなわち身分の低いものたちは

極楽浄土へはいけないのです。

 

 

ですから少数の人だけが乗れる船ということで

 

小乗仏教と言うんです。

 

 

 

 

しかしいつの世も救世主というのはいるもので

 

ある時、法然 というお坊さんが現れました。

 

 

 

彼は人々にこう教えを説いたのです。

 

 

 

南無阿弥陀仏

 

 

 

と唱えるだけでどんな人も救われる

 

 

 

そうなのです。

 

これが後の世に親鸞聖人まで受け継がれる

 

大乗仏教 なんです。

こうして多くの人を乗せる船が出来上がり今日まで

私たちの中で

一定の宗教観として親しまれています。

 

 

万人を救いたいという思いが

単純明快な教えを生み

多くの人が救われる。

 

 

 

まさにわかり易さこそ正義ですよね

 

 

字の読めない平民にも

 

ナムアミダブツ

 

という7文字なら覚えられます。

 

 

 

あの有名なキリストさんでもそうです。

 

 

 

アーメン

 

 

とだけ言っていれば良いんだよ

 

と教えてくれたのですから

 

 

ここまで話せば少しはわかってもらえましたか?笑

 

 

 

すべてのことをなるべく分かりやすく

単純にして

 

誰でもできる

誰でも来れる

そして心地よい

 

 

 

こんな状態を作り出すことが

ある意味私たちの仕事なんです。

 

 

分かりにくいってやっぱり不親切なんですよね。

 

 

 

だからこんな長い例え話まで出して

説明するんです 笑

 

 

でもそれだって

どうしたらもっと理解しやすいだろう

というなんです。

 

 

 

お釈迦様だって、王様には王様にわかるように

平民や奴隷には彼らにわかるように

説明していたんです。

 

 

 

我々はそんな尊い方々とは違い未熟ですから

そこのところをもっと勉強して

より皆さんに分かりやすい

愛を伝えていきます!

 

 

 

これがサクラダファミリアというお店です。